シリコンバレーとベンチャー投資の歴史

(公開日:2017年8月16日)

本スライドでは、世界初のベンチャー・キャピタル、ARDCから、現在、最も成功しているアクセラレータのY Combinatorまで、ベンチャー投資の変遷を軸に、シリコンバレーの歴史を専門用語を避けながら紹介することを試みた。
シリコンバレーが誕生する1960年前後、当地はプラムやナッツなどの果実園が広がる農業地帯であり、スタンフォードは地方の二流大学だった。それが、30年後、ボストン(Route 128)を凌ぎ、世界のテクノロジー・センターへ登りつめたのは何故か?シリコンバレーの凄さを認めつつも、いたずらに礼賛はしないスタンスで書き綴る。

著者自身のベンチャー投資との関わりは、インターネットバブルが弾ける直前からだから、随分、昔にさかのぼる。今考えると、えらく時代を先取りしていたが、東京で「ビジネスをアクセラレートする」というコンセプトのVC/インキュベータで活動していた。最初は投資側、その後、ビジネスを立ち上げる側で。
いわゆるコーポレートVCの位置付けで、米国、日本、アジアのスタートアップへの投資・育成をやりながら、投資先とのコラボを推進する、それがベンチャー投資との”馴れ初め”だった。その後、投資したシリコンバレー企業との協業開始と共に、舞台をシリコンバレーに移し、当地のVCに散々振り回されたが、それに関しては、エッセイ『シリコンバレーVC、あるスタートアップの死』にまとめたので、こちらも、御一読頂ければと思います(当時は散々振り回されたが、その後、大手企業のオープンイノベーションのプロジェクトに加わると、以降は、Top Tierを含むシリコンバレーVCと投資案件の精査などで”仲良く”取り組んだが)

シリコンバレーと付き合い始めてから気がつくと15年の歳月が経ちましたが、本スライドに登場する話は、この期間にイベント等で様々な人々から聞いた話をつなぎ合わせ、調べ直し、必要に応じて追加して編集したものです。投資関連、新事業、あるいは、地域振興に従事されている方に、何かの参考になれば、あるいは、単純に愉しんで頂ければと思います。

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